2010年7月10日




御嶽宿大湫宿琵琶峠細久手宿
京都から中山道を行くと、細久手→琵琶峠→大湫宿の順になるのですが、
帰途の都合で我々は逆に大湫宿から琵琶峠を越え、細久手宿に入ります。

49 御嶽宿

48 細久手宿

47 大湫宿
御嶽宿

御嶽宿は、願興寺の門前町として発達した町で中山道制定当初からの宿場です。
尾張藩領(1843年)で、家数:66軒、本陣:1軒、脇本陣:1軒、旅籠は28軒ありました。






願興寺
時の一条天皇の皇女が、天台・真言の僧徒の法論に加わり、両宗の僧に対し種々詰問されます。
天皇は皇女が宝僧を ないがしろにしたとして、皇縁を廃して皇女は京を追われ、正暦4年(993)
この地にたどり着かれました。郷人よりこの話を伝え聞いた国府は、丁重にお仕えするように申し
わたします。皇女は、深く無常の理をわきまえられ、名を行智尼、草舎を正宝庵と名づけられて、
伝教大師自刻の薬師如来に帰依し、仏道修行に励んでおられました。そのころ、近くにあった池で、
地域の民人に災いをもたらす出来事が頻繁におきていたことを聞き、行智尼はそれを仏の力で鎮
めるための読経をあげたところ、山は崩れ、天も砕け落ちるかと思われるほどの大蛇が現れ尼を
呑み込もうとしました。行智尼は驚くことなく、薬師如来にすがり、一心に経を唱えていたところ、
ようやく、風も鎮まり、波も定まりて、池の中より多くの小さな蟹に囲まれて、一寸八分の金色に
輝く尊像が顕現しました。
この出来事は一条天皇の耳にも達し、追放したものゝ我が愛する娘が仏門に帰依し、仏徳を
持って地域の安寧を図っていることを心から喜び、天皇勅願の寺院建立の命を下し、長徳2年
(996)本堂ほかの建立に着手、長徳4年に本堂はもとより塔・講堂・諸堂宇が整備され、信
仰を集める寺院として隆盛を極めていくこととなります。






中山道みたけ館
図書館と郷土館の複合施設で、特に郷土館では、御嵩町の歴史が映像と音で分かりやすく紹介されています。





御嶽駅横のさんさん広場に足湯がありました。
いや.『
足癒 』でした
お湯でなく、温めた小粒の丸石の中に足を差し込むのです。




午前中の予定は終わりました。
恵那の山菜園で昼食後、大湫宿へ移動します。



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次は『大湫宿から細久手宿』




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