2010年5月26〜27日
全八回シリーズの第G回目のD

最終回


小田原城
平安時代末期、相模国の豪族土肥氏一族である小早川遠平(小早川氏の祖とされる)の居館でありました。
.
1495年(明応4年)、
伊豆国を支配していた伊勢盛時が大森藤頼から奪い、旧構を大幅に拡張した。以来 北条氏の
五代にわたる居城として、南関東の政治的中心地となります。
【伊勢盛時(北条早雲)・北条氏康・北条綱成・北条氏政・北条氏直】

1561年、
上杉謙信が越後から侵攻。鎌倉を陥落させた後11万3千ともいわれる大軍勢で小田原城を包囲。1か月にわたる篭城戦の後、上杉軍を撃退しました。
0
1569年、
甲斐から進撃してきた武田信玄の軍勢2万余りに包囲される。信玄自身落城させるのは不可能と悟っており、大きな戦闘はなく、城下に火を放つ程度であったといいます。
0
1590年(天正18年)
豊臣秀吉が天下統一の仕上げとして隠居北条氏政と当主氏直が指揮する北条氏と開戦し、当時北条の台頭に対抗していた関東の大名・佐竹義重・宇都宮国綱らとともに数十万の大軍で小田原城を総攻撃した。一般的に小田原征伐と呼ばれるこの戦役において秀吉は圧倒的な物資をもって取り囲むとともに別働隊をもって関東各地の北条氏の支城を各個撃破し、篭城戦によって敵の兵糧不足を待ち逆襲しようとした北条氏の意図を挫き、3か月の篭城戦の末ほとんど無血で開城させた。この篭城戦において、北条側が和議と抗戦継続をめぐって議論したが一向に結論が出なかった故事が小田原評定という言葉になっている。その後、秀吉は国綱とともに宇都宮に陣を移し、参陣した東北地方の諸大名の処遇を決定、(宇都宮仕置)。

秀吉の国内統一事業は、
          これをもって完成したと云えます。




天守閣内部

天守・最上階からの、眺望です。






東海道五十三次のヱヱとこ歩き
全8回シリーズは、
一応、これにて終了で御座います。




東海道・目次へ




次は、2010年6月15日から
中山道のヱヱとこ』 が始まります。




inserted by FC2 system